いい品物を売る第一に
〜食で消費者に尽くしたい〜
今まで一番のピンチは、1971、72年ごろ、ライバル社が、うちに近い、南高田駅前に店を出すというときでした。そのころ、高田地区ではライバルが二社あり、どちらも数店舗を構えていました。うちはまだここ(本町一)だけでした。
ですからライバルがそばに出店すると、向こうの方が売り場は広いし、売り上げの半分は持っていかれるのではと、さすがに頭を抱えました。妻と二人で東京に行き、有名な経営コンサルタントの方に相談しました。
そのとき、私は、商品を重視してやってきたことを話すと、先生も「そこらへんはきちっとお客さんに印象付けてやっていきなさい」と認めてくれました。
それで自信を持って頑張って、待望の二店目、幸町店を76年にオープンしました。オイルショックの影響で、建設費が高騰しましたが、あの谷を乗り切りました。
私の持論は、百円のリンゴと百五十円のリンゴがあったときに、百円のはまずくて捨てた、百五十円のはおいしかったという場合、どちらがお客様に得かということです。うちは価値のあるものを適正価格で、つまり百五十円のリンゴをお客様に提供したいということです。
確かにいま、厳しい不況下にありあます。しかし安売りをして品質を落としたりすると結局駄目になります。信用が崩れてしまいます。不況下こそ、より一層、商品に対して磨きをかけていく、いい品物を売ってうちのファンを増やしていくしかありません。
もちろん、生活防衛のため、一円でも安い品物を求めるお客様もいらっしゃいます。ですから商品も二段構えで、できるだけ安い商品も置くようにしています。そういうものでもうちの品質はきちっと守っています。果物だったらうちの糖度基準を守り、それ以下のものは扱いません。
店は一気には展開しません。じわじわと広げていきたいと考えています。なぜなら土地を確保すればいいというものでなく、イチコの店をきちっとやっていく社員教育をし、人を育てなければなりません。そんなに急いではできません。二女の夫が常務をやっています。イチコの基準を守り、これからどう展開していくかは、次の世代がやっていくことになるでしょう。
ずっと商品開発に力を入れてきて、近年うれしいのは、完熟トマトもそうですが、周辺の農家が私たちの思いを分かってくれて、地元で商品開発ができるようになったことです。かつてはコメ作り一辺倒で野菜には関心を持ってくれませんでした。やはり、見えるところで生産されたものが私たちも一番安心です。子供のころ、秋においしい枝豆が田んぼのあぜに生えました。これを復活させようと賛同する農家に作ってもらってます。今年は思い通りのものができませんでしたが、来年また挑戦します。
人生、生きていて何か人のためにならなきゃあと思います。私は食で消費者のためになることができてものすごく幸せです。食べておいしいということは、一番人生にとって幸せだと感じています。