商品開発にストーリー
〜自信の豚肉、完熟トマト〜
1970年に長野でスーパーのグループ仕入れの会社をつくりました。当時はまだ新潟(市)と上越は流通面ではつながっていませんでしたね。長野のスーパー十社と私のところで「キューピット」という会社をつくり、共同仕入れを始めました。私はその生鮮部長になり、全国を飛んで回りました。
北海道から九州まで、それに海外にも行きました。ミカンは糖度のいいものを熊本からコンテナで入れました。クリも九州で求めました。熟度80%のパインを台湾から4トントラック一台分入れたこともありました。たいへん甘いのですが日持ちしないので、まず知っているところに配って歩きました。食べておいしいと思った方がすぐ買ってくれて、二日で全部売り尽くしたことも思い出です。
失敗もありましたよ。北海道でいい冷凍イカがあったので、貨車一台分買ったのですが、こっちに着いたときには値段が下落し、大損です。
でもあのとき、商品の勉強を徹底してやりました。週3回は長野に勤めていました。キューピットは五年ぐらいで役割を終えましたが、あれが私の商品開発へのきっかけになりました。
「イチコもち豚」の開発もそんなふうに全国を回っていて、できたものです。あるところにいい豚を作っている人がいると聞き、訪れました。確かにおいしい豚なのですが、値段が高すぎていくらなんでもうちでは売れません。いったんあきらめたところ、そこにいた赤地勝美さんと、県内の優良養豚家に巡り合いました。
豚は、まず血統が大事で、次に餌、そして飼い方です。赤地さんは東京農業大学を出た人で、いろいろな種類の良いところを取り寄せ血統改良して、トウモロコシ主体の餌を与え、整備された豚舎で普通より日にちをかけて育てました。それで、きめ細かく締まりの良い肉質の豚が、うちでも売れる値段でできました。本当に自信の持てる商品です。勉強ももちろん大事ですが、人との出会い、付き合いが生み出した商品です。
トマトもいま、私のところでは「完熟トマト」として、契約農家で栽培した商品を扱っています。通常、トマトは青いうちにもぎとって出荷して、店頭に並ぶころに赤くなります。だから味が薄く水っぽいのです。うちでは、なんとか完熟させたトマトを売りたくて、それで賛同してくれた農家と意見交換をしながら商品開発を進めました。
中でも吉川町の脱サラで農業を始めた山岸協慈君とは、こちら側から「うねを高くして」などと注文しながら二人三脚でと取り組みました。ですから責任というか、リスクは、こちらも応分に負担します。最初の年はいまひとつの出来でしたが全量買い取りました。翌年から良い出来になり、うちは通常の三割高で買っています。完熟まで収穫しないというのはそれだけ農家のコストが掛かっているわけですから。
私は社員に、うちでは一つ一つストーリーのある商品じゃないと売っちゃいけないよ、と言っています。商品開発の過程は物語そのものなんです。